TEMPEST GIRLS:04

「うううっ、笹良、帰れなかったらどうしよう」
「ああ、泣かないでください」
 ふええええ、と豪快に泣くササラの頭を撫でて、何とか気を静めさせようとリスカは苦心した。
 いや、あんまり素晴らしい泣き声のため、リスカ達を追尾する白虎の耳に届くのではないかと危惧したのだった。
 不安でたまらないのか、ササラはぽろぽろと涙の雫を落としつつ、ひしっとリスカに抱きついてきた。リスカが言うのもなんだが、人懐っこい子というか、どこまでも危機感が薄い子というか……。自分がもし、本当に男でしかも女性に餓えた悪人であったりした場合どうするのだろう、とこの厄介な状況を忘れ、無防備な少女の今後を真剣に案じた。世の中には女性をかどわかす不埒な輩も無数に存在するのですよお嬢さん、と一見平穏な日常の中に蔓延る悪事の数々について、その危険性を詳しく教えてやりたい気分になる。
「大丈夫ですよ、きっと元の世界に戻れますから」
「うう、総司もリッちゃんくらい優しければ……」
「え?」
 いや、別によいのだが……ササラはリスカの服で涙を拭った。そうか、この子はまだまだ子供だ、とリスカは自分を納得させた。
「意地悪なお兄様が原因で、ここに来た気がする」
 ササラはくすん、と涙を堪え、潤んだ瞳でちらりとこちらを見た。
「お兄さん?……ええと、何があったのですか?」
 妙にササラの兄とやらが気になった。術師の勘が働いたというべきか。
「うーんと、笹良の兄は意地悪で腹黒くて、やかましー奴。何ていうか、サド? あ、笹良はマゾじゃないぞっ。あいつ、笹良をベッドに縛るって言った。変態だー!」
「ササラさん、落ち着いて……うむ?――し、縛……!?」
 凄まじい。意味不明な言葉が幾つかあったが、もしやササラはソウジという名の兄に犯罪的で卑劣な陵辱行為を受けているのでは! とリスカは愕然とした。何て痛ましい子だ! まさかこの過激な格好も嗜虐的な性質を持つ兄の趣味なのか? と彼女の全身を眺め、全く余計な心配をしてしまう。
「それでねえ、ちょっと遊びに行こーとして、窓から大脱走しようとしたんだ。何ていうかー、ロマンス的な夜の逃避行? 木に飛び移って脱走なんて、アクション的だよねー。笹良、靴を部屋に隠しててー、あ、今履いているやつなんだけど、すげえ気に入ってるんだあ。こういう短めブーツ、笹良、好きー」
 と、一体何の話をしているのか悩むほど思い切り脱線しまくる笹良の説明を、根気よく時間を費やして聞き取り、リスカなりにまとめてみると、こういうことだった。夜遊びを企んで自宅を抜け出した時、運悪く実兄に見咎められて部屋に連れ戻された。散々叱責されて腹が立ち、どうにか出し抜いて兄の鼻をあかしてやりたいと考え、自室の窓から脱走を図ったと。
 ……少女が愚痴を言うほど、ソウジなる兄は極悪人ではない気がするが。
 むしろ、微笑ましいくらいササラの身を案じていないだろうか。まあ確かに、ササラに向けた言葉の数々は(ササラの愚痴が真実だという前提で考えた場合)、実に屁理屈的で多彩な皮肉に溢れているが、行動のみを追ってみるとどうもその兄は、目の前の破天荒な少女を心配して、早々と自宅に戻ったようなのだ。案の定、警戒心がいささか足りぬササラは夜中に家を抜け出して遊びに行こうと企んでいたのだから、兄の心配は決して取り越し苦労ではなかったということになる。はっきり言ってしまえば正しいのは兄で、ササラはもう少し自分の軽卒な行動を反省すべきだった。
 普通、可愛い妹が夜中、それも若い男がうろついているような場所に行くと知れば、引き止めて当然だろう。ササラは甘いお菓子にほいほいつられて犯罪に巻き込まれる類いの人間であるに違いない。何というべきか、兄もまあ、うむ、大変である。
 ……ふむ?
 なぜかセフォーの顔が思い浮かんでしまったが、リスカは自己管理についてはかなり気をつかっているし、防衛対策も万全とは言い難いが、勿論怠ってはいない。ササラほど天真爛漫に、後先顧みぬ無鉄砲な行動は取っていないのだ。自分はどちらかといえば、慎重派なのである。などと、リスカは内心で自己弁護した。まあ、それは置いといて。
 もう一つ分かったことだが、恥ずかしいほど身体の線を露にする彼女の奇抜な衣装は誰かに強制されたわけではなく、何と自分の意思で着用しており、更には同年代の若い女性の間で流行しているというのだ。彼女の国は、その、ええ、うむ、かなり放埒で刺激的な国であるらしい。そうか、娼婦というわけではなかったのか。余計なことを言わなくてよかった。
 と、まあ、ササラにつられて、リスカまで話が脱線してしまったが、それでも有益な情報というか注目すべき内容も中には含まれていたので、一応は収穫があったと思ってよいだろう。
 そうなのだ、ササラとリスカの行動を比較すると、いくつかの類似点が見受けられる。
 事情は異なれど、お互い夜中に抜け出そうとして保護者に捕獲、いや、連れ戻されているという点が一つ。
 そして、自室の窓から覗ける場所に、木があるという点が一つ。
 更には木の枝に、得体の知れぬ生き物がいたという事実。
 最後に、高い場所から落下したという事実。
 それらの偶然とは思えぬ類似点から、いかなる答えをはじき出せるか――
「そうですか。ならば、この空間は――」
「リッちゃん」
 つん、と服の袖を笹良に引っ張られたため、集中が途切れて、一瞬見えかけた光明が混沌の中に紛れてしまった。ああ、真実の尾を逃がしてしまった、とリスカは焦燥感に苛まれた。
 内心で溜息を落としつつ視線を向けると、ササラがか弱げな表情を浮かべてこちらを見上げていた。途端に苛立ちは消えて、何やら申し訳ない気持ちになる。恐るべし、ササラ。
「ああ、すみません」
 リスカはつい苦笑した。我ながら子供には甘いと思う。
「大丈夫、あなたは決して悪い子ではない。必ず帰れるでしょう」
 この程度の嘘ならば、リスカにだって言えるのだ。ササラが求めている言葉を紡ぐくらいは、許されるだろうと思う。リスカは手を伸ばし、涙のあとが残るササラの頬を拭った。
「でも笹良、帰るのも嫌だっ」
 おやおや。
「なぜですか?」
「総司にまた怒られる」
 ササラは少しむくれた表情で、ぷい、と横を向いた。
「お兄さんが、嫌いですか」
「嫌い。意地悪、極悪、卑劣、問答無用で情け無用、心の黒さは魔王並み。あの毒舌は、岩をも溶かすっ」
 ササラの瞳は揺れている。言葉とは裏腹に、あんまり心の声が透けて見えるので、思わず噴き出してしまう。うむ、これはササラの兄、彼女が可愛くて仕方ないだろう。
「ああ、あなたは、うん、可愛い人です」
 うう、とササラは更に不貞腐れた。
「あなたのお兄さんは、きっと――」
 仕方がない、少しくらいは彼女の兄を弁護してやるか、と思った時だった。
 突然、目の覚めるような破壊音が響くと同時に、部屋の扉が破られたのだ。
 白虎が大地を抉るような唸り声を上げて、体当たり攻撃で押し破った扉から、のそりと姿を現す。
 天敵を前にした猫のごとく、ぎゃっと飛び上がる笹良を咄嗟に抱き寄せたあと、リスカは懐に手を入れて、常備している花びらを取り出した。こちらへ飛びかかろうとする白虎の手前に花びらを放って、薄い結界の膜を張る。白虎は結界の膜に音を立てながら衝突して、目眩を起こしたかのようにふらっと倒れた。
「急いで!」
 白い獣がよろめいている間に、魂を飛ばしているササラの手を取り、全速力で部屋を飛び出した。今、白虎に投げつけたリスカの花びらには殺傷能力はなく、あくまで一時、敵の動きを封じるだけである。
 延々と続く通路の曲がり角から曲がり角へ、壁に並ぶいくつもの扉を目の端に映しつつ、リスカはササラを伴って走り続けた。一見、規則性なく逃げ回っているようだが、リスカはきちんと道順を頭に入れている。このような訳の分からぬ建物の中で迷子になるのはご免である。
「走って!」
 リスカは自分の頭の中に存在する法則に従って動いていた。闇雲に走り回っても意味がない。まずは建物の構造と広さを知るため、円を描く要領で行動したのだが……この建物、果てがない。ならば、どう動くか。目印になりそうなものは、生憎どこにもない。一定の間隔で扉が壁に並び、照明が下げられている。扉の数と曲がり角の数、照明の数、これらを利用して、道筋を頭に叩き込むしか方法はないようだ。リスカは簡単な図形を脳裏に描いて、その通りに行動し、扉の数などを書き加えて建物内の地図を自分の中に作った。
「こちらの部屋へ」 
 ササラが息を荒くし今にも倒れそうだったので、一旦、休憩を兼ねて一つの部屋を選び、その中へ身を隠すことにした。
「な、何これ」
 乱れた呼吸を整えながらササラが室内を見回し、目を剥いた。
 室内には、それぞれ大きさや形が異なる多数の宝箱らしきものが置かれていたのだ。
 そうだった、鍵を探さねばならないのだ。
「探しましょう」
 とにかく、鍵を手に入れることが先決のようだった。ササラと手分けして埃に塗れた宝箱を一つ一つ確認していったが、どれも空だった。もしや全ての部屋を覗いてたった一つの小さな鍵を発見しろというのだろうか、とリスカは内心、虚脱していた。制限時間は一時間と、あの道化は言っていた。無理だ。
 いや、わざわざこれほど手の込んだ真似をしているのだから、絶対に無理ということはありえない。どこかに突破口が隠されているはずなのだ。そして、鍵の在処を示す何かはリスカ達が気づかないだけで、既に与えられているのかもしれない。
「まさか、全部の部屋の中から、鍵を探せってこと?」
 突破口を見出せない限りはそうなるでしょう、とリスカは心の中で笹良の台詞に答えつつ、宝箱を開けた。その瞬間、箱の中から煙と共に、妙な格好をした亡霊めいた美女が出現した。リスカは仰け反り、硬直した。
「ぎえ!」
 例によって、ササラの身も蓋もない悲鳴で、リスカは我に返った。条件反射のように震えるササラを庇い、透けた身体の美女と対峙する。
「お・と・こらしいわね、魔術師さん」
 リスカは、美女の揶揄に引きつった。二重の嫌味である。リスカは男でもないし、正規の魔術師でもない。
 というより、この亡霊のような美女、リスカが性別を偽っていることや術師である事実を、なぜ知っているのか。
「あなたは誰ですか」
「私は、カノ。よろしくね」
「はあ」
 あまりよろしくしたくないのですが、とリスカは内心で毒づいた。
「やだっ、そのやる気のない返事。戦いには緊張感が必要なのに」
「は?」
「わたくし、開幕を告げる精霊。お相手するわ」
 いえやっぱりここは友好的によろしくしましょう、とリスカは即座に考えを改めたが、色っぽく笑うカノは、既に臨戦状態に突入していた。ぱちり、と小気味良く、半透明の指を鳴らす。
 合図と同時に開け放しにしていた宝箱から、煙状の蛇が次々と出現した。
「リッちゃんっ」
 卒倒しそうなササラへ、リスカは素早く結界の花びらを投げた。どこまでも無防備なササラは敵と戦える味方ではなく、ひとえに守護すべき相手と考えた方がいい。
「お優しいこと。あなたは誰にでもお優しい。それって、誰にも優しくないと同じ意味ね」
 カノの声に振り向いた瞬間、煙状の蛇が大気を滑り歩いて接近し、リスカの首にしゅるっと巻き付いた。花びらを取り出そうとしたが腕まで締め上げられてしまい、身体の自由を封じられる。しまった、と焦燥感に苛まれたが、最早どうにもならない。首に蛇が絡まりつき、まるで濡れた布で搾られているかのように、呼吸が苦しくなった。一瞬、意識が落ちかけたが、あとに残されるササラのことを考えると、簡単に気絶はできない。
 どうする――?
 薄れゆく意識の中で、リスカは目まぐるしく考えた。
 カノとササラが何かを言い合っていたが、ひどい耳鳴りがして聞き取れなかった。
 が。
 急に、身体に巻き付いていた蛇が消えた。
 その場に崩れ落ちて咳き込みながら素早く周囲を窺うと、何とまあ、ササラがやけくそ的な乱暴さで宝箱の蓋を蹴り閉めていたのだった。
 ――彼女の、予想もつかぬこの破天荒さ、意外に馬鹿にはできぬかもしれない。
「リッちゃん」
 全部の蓋を閉めてカノと蛇を撃退したササラは、ひどく青ざめた表情を浮かべつつ、こちらへよろよろと近づいた。
「ご、ごめんね、大丈夫?」
「平気です……、ありがとう」
 なぜ謝罪されたのかは分からぬが、ササラが泣き出しそうな顔で項垂れたため、とりあえず微笑してみた。
 と。
 いきなり、ササラが抱きついてきた。
「わっ、ああああの、ササラさん、な、な」
 いやはや、何といっていいものか。その、ううむ、彼女の目には、リスカは男として映っているのでは? と微妙な心配をしてしまう。いやいやこの子は子供だ子供、とリスカはなぜか力強く念じつつ、露出しすぎなササラの手足から思いっきり目を逸らした。……自分、本当は女性なのだが。
「ありがと、リッちゃん」
「ああ、はあ、いえ」
 リッちゃん、という呼びかけに脱力しつつ、リスカはこう考えた。
 兄よ、あなたが心配する理由、身に染みて理解できる。
「ササラさん、ええと、あの、先を急ぎましょうか」



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