TEMPEST GIRLS:05

 再び通路へ出てしばらく探索を続け、ササラの疲労が溜まった頃合いを見計らって、次の部屋へ移動した。
 選んだ部屋は、壁という壁に引き出しが取り付けられていた。不気味である。
「これ、全部開けて、鍵を探すの?」
「まあ、そうなんでしょうね」
 と、ササラと二人で引き出しを一つ一つ調べたが、リスカはこの作業にあまり意味を見出していなかった。必死に鍵を探している彼女には申し訳ないが、一人で思考する時間がほしくて、恐らく無駄に終わるであろう作業にもあえて異を唱えなかったのだ。
 あまりにも呆気ないカノの退却が気になる。試練という割には、あっさりしすぎているのだ。
 では、カノは何を伝えたかったのか?
「なんか、すごい虚しい」
「……ええ」
 考えに没頭していて、返事が遅れた。ササラは、考えがまとまりそうな時に話しかけてくるのだ……。
 別の意味で虚しい気分になりつつ、逆上した様子で引き出しを開ける騒がしいササラに視線を流した。
「ササラさん!」
 リスカは叫んだ。彼女が開けた引き出しから、古めかしい格好の男(この男も亡霊めいていた)が出現したのである。
「なっ、すっげえ不気味な登場じゃん!」
「いえ、そういう問題では……」
 あのササラさん、相手を無闇に挑発するような不用意な発言は控えた方がよいのでは、とリスカは項垂れた。
「我が名はキラ。剣の精霊。面倒だが遊んでやる」
 思わず目が点になる。キラ?
 それに、剣の――?
 己の意識に囚われて、リスカは一瞬、行動が遅れた。
 キラなる亡霊が、いきなり刃物を笹良に向けたのだ。
「死ぬっ!」
 という何とも的確なササラの絶叫に、リスカは戦慄した。何たること!
 しかし、キラの鋭い剣は、凝固しているササラの身を切り刻む直前で、がつんと金属音を立てて阻まれた。先程ササラにはった結界が、まだ効力を失っていなかったのだ。今の一瞬で、リスカは全身に汗をかいた。
「成る程、魔術か」
「私がお相手をします」
 怪我はさせなかったがササラに恐怖を与えてしまったという自責の意味をもって、リスカはキラと向き合った。
 こちらの心情を読み取ったかのように、キラは嘲笑した。
「不具の魔術師が相手を?」
 最も触れられたくない点を指摘され、すっと体温が下がった。
 なぜそれを知る?
「剣が憎いか?」
 キラは不可思議なことを聞いた。
 いや、わざと隠語めかしているだけなのだ。
 剣が象徴する存在。
 ――セフォー。
「憎くなど、ありません」
 そうだ、憎いわけではない。
 ただ。
「だが、恐れている」
「それは……」
 その通りだ。
 だが、なぜ、リスカの内なる声を知る?
 読心術を仕掛けられた時のような息苦しさは感じない。
「剣はお前を傷つける。矜持も」
 傷。
 リスカは言葉を失った。肉体に与えられる傷ではなく、精神を――
「お前の弱さは、剣と向き合えない。その心が、不具」
 あぁ。
 血の気が引いた。魔術が不具なのではなく、心が足りぬと。リスカが何よりも恐れる言葉だ。
 微かに手が震えた。
「こら、何だその物言いは! 剣が怖くて何が悪い、危険なものを怖がるのは当然の心理だっ」
 深い闇に落ちていくリスカの意識を救ったのは、高らかに響くササラの凛とした声だった。
 ……怖がるのは、当然?
「恐れていては、何も見えない」
「見ちゃいけないものを見るより、いいじゃないか」
 躊躇いも弱さもない、きっぱりとした言葉だった。
 子供というのは時に、思いもよらぬ柔軟さを発揮して本質を貫く。本人は大抵、無自覚だが。
「危険が怖いか。では永遠に逃げ続けるか?」
 鋭く返したキラに対して、ササラはまたも目を疑う突飛な行動に出た。
 剣を構えたキラに、真っ正面から突っ込んでいったのだ。
 しかも、唖然とするキラの手に飛びつき、力づくで剣を奪い取ったのである。
「向き合えないなら、奪い取ればいいじゃん!」
 何とも痛快。
 いっそ潔い。
「ササラさん」
 思わず呼びかけた。向き合えないなら、奪い取る。秩序も合理性も無視した凄まじく滅茶苦茶な論理だ。だが。
「いいじゃん、怖がっても」
「ほう」
 いいのか、恐れても。
 目映いほど斬新な精神。生き生きとしたササラの姿に、視線を奪われる。
 ああ、まるで、この子は裸足で虹の橋を駆け上がっていきそうな。
「乙女はちょっと危険なものに惹かれたりするんだぞ!『わたし危険な香りのする男の人が好き』っていう乙女の複雑かつ微妙な心理を知らないのっ。大体、今のニホンはホラーブーム真っ直中だ!」
 ななな何?
 危険な香――!?
 リスカは絶句したあと、赤面した。なぜかセフォーの顔が脳裏に浮かんだためだ。危険というならばセフォー以上に物騒極まりない存在はそうそうおらず……というより、危険を凌駕する凄絶な氷の眼差しが……。
 そ、それは乙女の心理なのか?
 惹かれ……!?
 駄目だ自分、ササラの言葉を深く考えてはいけない。
「リッちゃん、大丈夫?」
「あ、いいいいえ、はい、何でもありません、ええ」
 ササラは慌てた様子で、折角奪い取った剣を何の未練もなく放り出し、咳き込むリスカの背をさすってくれた。
「ササラさんは、凄い人ですね」
「何が?」
「ええと、まあ色々と、はい」
「リッちゃん、顔赤いけど大丈夫? 喘息持ちとか?」
「い、いえ! 違います、その、ササラさんの言葉にある意味衝撃を受けたといいますか」
 奪い取る、というのはともかく、正面から向き合えなくても、他にセフォーと語り合える手段があるのではないか。たとえば、ササラが今、背をさすってくれているように。ほんの少し、触れ合うだけでも。
 そういえば、セフォーは結構触りたがる。
 うむ、それはリスカが小鳥に触れてしまう心境と近いのだろう。目の前にいると、ついつい構いたくなるというか。
「そうですね、正面から向き合わずとも、別の方法を探せばよいのですね」
「……?」
 ササラはきょとんとしていた。無自覚だからこそ、怖いもの知らずなのか。
「あれ?」
 混乱した表情で、ササラが室内を見回している。
 なぜなら、キラも剣も、消えていたのだ。
「何だったの?」
 やはりササラに自覚はないようだった。自分の言葉が他人にどういう影響を与えたか、全く分かっていない。
「……あなたが勝ったんですよ、ササラさん」
 リスカは微笑んだ。
 この奇怪な空間の真意が、少しずつ殻を割って見えてきた。
 
---------------
 
 ササラはこの歪な環境に順応してきたらしく、いやに溌剌とした様子で部屋の扉を開けた。どうやら先程までは、多少なりとも人見知りをしていたらしい。うむ、あの懐きようでもササラにしてみれば人見知りをしていた方なのだろう。
 ササラは意気揚々と扉を開け――即座に閉め直した。
 なぜか、虚ろな笑みを浮かべていた。
「ササラさん?」
 怪訝に思って呼びかけた時、どんっと通路側から建物を揺るがすような衝突音が響き、扉が軋んだのだった。
 ……な、なるほど。
 扉を開けたら、目前に白虎が待ち構えていたのか。
「ああああ、もう駄目、食べられるっ」
 白虎は闘獣のような凄まじさで扉に突進しているらしく、衝撃音が響く度に天井のひびわれた部分から、ぱらぱらっと塵芥が落ちてきた。
 ササラとリスカは、あまりに力強い白虎の突撃に声をなくして呆然としていたが、扉が悲痛な音を立てて破られたことでようやく我に返った。
「ササラさん、こちらへ!」
 一か八かで、キラが出現した引き出しの中にリスカは飛び込んだ。まともではない空間にリスカ達はいるのだ。引き出しの中だとて、別の空間へ繋がっている可能性が十分に考えられた。
 ササラが「どらえもーん!!」とわけの分からぬ呪文を口走っていた。
 
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 そして辿り着いた先は、全くもってササラの教育によろしくない卑猥な場所だった。
 兄が懸念していた内容を十割増にしたような、まあ何とも目に麗しく素晴し……ではなく! うむ、不健全極まりない部屋である。これはよくない、青少年を連れ込んでいい部屋ではない。
 要するに、王城の奥に存在する後宮のような、羨まし……ち、違う、雅で艶美な女性の園……いや、中には男性もいるが……これがまた見蕩れるほどの美貌の主ばかりで埋め尽くされた豪華絢爛な部屋だったのだ。
 美男美女をよくもこれだけ集められたものだとリスカは感心した。
「いらっしゃい、お嬢さん達」
 部屋の中央で絶句しているリスカ達に、魅惑的な低い声で呼びかけたのは、美男美女の中でもとりわけ外貌が秀でた男性だった。
 その彼がひらっと手を振って合図した瞬間、お付きの美女がわさわさっとリスカ達を取り囲んであれよあれよという間に腕を引っ張り、気がつけば連行されていた。
 媚薬めいた艶かしい芳香と、気怠げな酒の匂い。目の前には微笑が目映い美男。ササラは夢見心地を通り越して、放心していた。すみません、ササラの兄、しかし私の些末な力では彼らの妖艶な微笑をどうあっても阻めません。
 さて、なぜリスカが美貌の塊のような人々を前にしてそれほど動揺していなかったかというと、やはり普段から美よりも威な死神閣下様や皮肉の多いジャヴなどと接していたお陰で多少は免疫があったためであろう。それにこう見えてもリスカは一応、静寂と知識を愛する術師だ。み、見蕩れていない見蕩れていない。うむ。
 いや、ササラが側にいなければ思い切り慌てふためいていたような気がするが。
「まあ、飲みなさい」
 少しジャヴを連想させる美男が、リスカとササラに酒を勧めた。惑わされてはならないと思うが、なんとも美味そうな。
 そういえば酒を飲みかわす約束を若者としていたな……とリスカは余計なことを思い出し、じっと目の前に用意された酒を見つめた。一口くらいはまあ良いだろう。喉も乾いていることだし。
「……っていうか、お兄さん、誰」
「ああ、わたしかい? 私は、トワ。怠惰の精霊」
 瞬きも忘れて美男を凝視していたササラの問いかけに、あっさりと答えが返ってくる。
 トワ?
 リスカは二口めを試そうとしていた手をとめた。嘘はいけない、四口めだ。いや、飲み干すとすぐに美女が注いでくれるのだ、断っては失礼である。
 トワ。その名前は――
 リスカの中で、文字が浮かんでは弾ける。思考せよ。これは悩むまでもないほど、簡単な謎だ。原因があるからこその結果。現実は過去の積み重ねによる。ならば答えは、過去の中――。
 リスカ達は、見るべきものを見ていない迷える子羊と。お仕置きをされている?
 見るべきものは。
 律儀に名を名乗る精霊達。現れるだけで、目立った危害など何一つ与えない。
 見るべきもの。
 恐れていては何も見えない。
 危険から逃げ続ける気か、と問われた。
 ササラは、何と答えたか。
 この世界で、危険を体現し、リスカ達を追う者は。
 見るべきものは。
「タイダ?」
 ササラの不思議そうな一言で、記憶の迷宮を辿っていたリスカの思考は遮断された。深みにはまりかけていた意識が浮上し、現実が蘇る。
「愛らしいね、お嬢さん」
 トワは誘うように微笑し、戸惑うササラの顎へさらりと手をかけた。ササラはどきまぎとした表情で、硬直していた。
「わたしと遊ぼうか」
 無防備な少女は目を白黒させて、うげっと仰け反った。
「――おやめください」
 リスカは冷静な面持ちで口を挟み、ササラを引き寄せた。悩める様子で喘いでいたササラはあわあわと動揺しつつリスカにしがみついた。美形集団に囲まれて陶酔しているというより、別の生物を前にしているかのような混乱した表情をササラは浮かべていた。平常心がまだ残っているようで、リスカがさりげなく堪能していた酒にちらっと視線を投げて、何とも言えない感じで眉を寄せている。……う、うむ。
「おや、魔術師殿。こちらのお嬢さんと良い仲になったのかな」
「ええ」
 リスカはさらっと肯定した。ササラを側に置くと、守らねば、という明確な使命感が湧くのである。
 えっ? とササラは素っ頓狂な声を上げて、しれっとした顔のトワとリスカを激しく見比べた。一見単純そうでいて、容易には掴めぬ変わった思考回路の少女だと思う。美男に口説かれてもうっとりせぬのに、なぜリスカが肯定すると赤くなるのか。
「ですから、手出しはおやめください」
「わたしとは良い仲になってくれないのかな?」
 リスカまで誘われてしまった。何やら本当に、ジャヴと会話している気がしてきた。
「怠惰を受け入れることはできません」
「おやおや、お固い魔術師殿だ。遊び心を知らないね」
「遊びと堕落は違います」
 けじめの線を引かねばならない。どこまで許されるか、他人の心を計るのではなく、自分の心で判断するのだ。
「自由を求めるのは人の性だろう?」
「自由と遊びもまた、異なるのです。そう、真の自由とは、枷の中に見出すからこそ尊い。何の制限もないところでは自由の意味を理解できないのです」
 こういった問答ならば、お手の物である。
「己を甘やかすことを、自由とは言いません」
 リスカを攻略することは諦めたようで、トワはその美貌を、ぽかんとしているササラへ向けた。
「お嬢さんは遊びたい盛りだろう?」
 ササラはとても複雑そうな、後ろめたそうな顔をした。
 そうして、困ったようにリスカを見つめる。
「遊びたいけど、笹良、駄目かも」
 リスカは微笑んだ。良い子ですね、ササラさん。
 そうです、この世界の案内人が口にしたお仕置きとは、私達の心を試すことだった。



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