TEMPEST GIRLS:06

「わたしのことは、嫌いかな?」
 何とも華やかな笑顔でトワは言い、俯くササラの顔を覗き込んだ。
「嫌いじゃないけどさ」
 ササラは自分を律するように、ぎゅうっとリスカの手を握った。ああ、ササラも気がついたのかもしれぬ。この世界がもたらす意味を。
「嫌い好きっていう感情と、いいこと悪いことって、別なんだね?」
 言葉は稚拙ではあったが、論点は間違えていない。一途なほど感情的な少女は、思ったよりも愚かではないようだった。
「そう、残念だね。またいずれ遊びにおいで」
 淡白に思えるほど、あっさりと身を引くトワ。それもそのはず。リスカ達が自分で答えを導くまでの、道案内にすぎぬのだから。
 トワは美しい笑みを浮かべたまま、神妙な顔をしているササラの頭を撫でていた。どうもササラは美貌の主が相手であっても、初対面であればとりあえず人見知りをするらしい。
「ああ、そうだ、急いだ方がいいね。時間が残り少ないようだよ」
 時間制限など、あってないようなものではないだろうか。リスカ達を急かすための方便に近い、と考えていたが別の意図があるのかもしれない。
 それをササラに伝えるべきか迷ったが、トワが自分の口の前にすっと指を置いて「駄目、駄目」と合図する。まあ、何とも、遊び心に満ちているというべきか。
 鍵の在処は恐らく掴めたと思うが、全てを解き明かすのは、もう少し心を落ち着かせたあとでよいだろう。
 最後まで見届けるのも、悪くはないか。いや、ここで酒を飲みたいという意味では、ああ、まあ、ううむ。
「リッちゃんっ」
 と、少しばかり誘惑に落ちかけるリスカの腕はササラに奪われ、再び白虎からの逃走劇が始まった。
 
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 迫り来る白虎に怯えるササラのため、何度か花びらで追い払い、その間に様々な部屋を見て回った。感嘆するほど素晴らしい絵画が飾られた部屋、眺めるだけで疾しさを覚えそうな目映い宝石が展示された部屋、魅惑的な美しいドレスが用意された部屋など、こちらの興をひくように趣を凝らしていたが、やたらと気合いの入ったササラは高価なものには目もくれず一心に鍵を探し、元気よく走り回る。
 途中で突然立腹し「馬鹿ピエロっ」と叫んだり、兄に対する何とも無邪気な呪詛を吐いたりと、感情表現が豊富で見ていて飽きなかった。面白い子だ。
 がつがつと足音も荒く歩く勇ましい態度のササラに苦笑しつつ、リスカは次の扉を開けた。
 ――ああ、これで最後かな。
 そこは暗闇に閉ざされた部屋だった。
 四方の壁に暗幕を垂らし、光を遮っている。
 部屋の中央には、全ての終わりを予感させる老婆が座っていた。
「いらっしゃい、お前達」
 老婆は嗄れた声で挨拶をした。
「よく来たね」
 ササラはこそりとリスカの背に隠れたあと、恐る恐る老婆を窺っていた。
「鍵を探しにきたのだろう? ここまで辿り着いた褒美に、鍵をあげよう」
 なるほど、最後はこういう仕掛けか。
 偽りを見破れるか、とそう問いかけている。
「ほら、受け取りなさい」
 老婆は低く笑いながら、繊細な装飾が美しい銀色の鍵を差し出した。偽りとはえてして美しい姿を形成し欺くものだ。ゆえに人は惑わされて真実から目を背け、苦もなく掴める華やかな虚偽に手を伸ばそうとする。だが、それは時に、必要な行動でもある。偽りを知らねば、真実には気がつけぬということも、あるのだ。
 人は過ちを犯して成長する時だとて、あるのだろう。
 リスカは、怖々と銀色の鍵へ手を伸ばすササラを、止めなかった。
 一度は触れてみるのがよい。その方が、のちに真実の重みが分かる。
「あなたは、誰ですか?」
 是非ともこの老婆の名を知りたかった。名には、意味がある。少なくとも術師たるリスカは、徒労であっても何らかの意味を見出そうとする。
「わたしは終幕の精霊、カナ。最初にカノと会っただろう? わたし達は、双子だよ」
 ササラの微妙な表情が「嘘つけっ」と如実に心の声を表していた。
「ふふ、わたし達は、鏡なのさ」
「鏡?」
 リスカはふっと、思索に沈んだ。
 鏡?
 リスカは目を見開いた。
 ――ああ、そうか!
 解けた。
 これで全部解けた。
 カナがリスカを見据えて、楽しげに笑っていた。
 
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 全て理解したあとであっても、白虎から逃げ続けたのは、リスカの勝手な苦悩のせいだと言ってよかった。
 ――無事、元の世界に戻った時、セフォーにまず何と声をかけていいものか決めかねて、迷っていたのだ。
 ササラに早く鍵の謎を伝えてやらねばという気も勿論あったのだが、もう少しだけ、もう少しだけ、と悩む内に、彼女をひどく疲れさせてしまった。
 書物が並ぶ部屋で休憩したが、疲労感を漂わせる少女の姿を目にして、罪悪感が湧いた。
 口では何だかんだ言いながらも、一刻も早く兄に会いたいだろうに。ササラは様々な罵倒の言葉や泣き言を吐き出しても、諦めを見せない。
 ああ自分の身勝手な懊悩などで、ササラを引き回してはいけない。
 リスカは真実を伝えることにした。
「疲れたねー」
 ササラと視線を合わせると、そう言われた。
「大丈夫ですか、ササラさん」
 ササラは本棚に寄りかかり、脚を伸ばして座っていた。すぐ側にリスカも腰を下ろす。
「うん。リッちゃんこそ、たくさん魔術使って疲れていない?」
「疲れません。私の花びらにはあらかじめ、魔力をこめているのです」
 疲労を覚えるのは花びらに魔力を注ぐ時だけであって、いざ使用する時には何の労苦も必要としないのだ。
「私は――不具なのですよ」
 愚かしいと自嘲しつつも、ついリスカは口にしてしまった。そのような埒もない愚痴を垂れ流しても、少女が困るだけなのに。
「どうして?」
「魔術師としては、出来損ないなのです」
 全くかけ離れた世界の、しかも魔術とは無縁の少女だからこそ、吐露する気になったのかもしれなかった。
 年下の少女に慰めを求める自分の姿が、なかなかあざとく滑稽で笑える。
「でも笹良、リッちゃんのこと、好きだよ」
 どういう思考でそこへ結論を飛躍させたのか、ササラは当たり前のような顔で言った。
「魔術のことってよく分からないけれどさ。今、笹良を助けてくれてるのって、リッちゃんだし。出来損ないでも、リッちゃんが好きだよ」
「そう――ですか?」
 何のてらいもなく好きと言える少女が、ひどく目映かった。
「うん。出来損ないとかそうじゃないとかって、好きになったら些細な問題だもん。むしろ、そういうところが逆にイイなあって思うこともあるんじゃないかな? 完璧な人間って近寄りがたいよ。持ちつ持たれつ、助けたり助けられたりする関係の方が、きっと面白いよ」
「些細な問題でしょうか」
 そうだろうか。
 それは、ササラが未だ穢れを知らず、自分のように不具と責め続けられた惨めな過去がないからこそ言えるのではないのか、と荒れた心の底に本音が落ちる。対等な位置に立つことを相手に許されぬという恥辱、少女はまだ味わっていないのだと。
「リッちゃんは、笹良のこと嫌い? 魔術、笹良は使えないよ」
「いえ」
 何だろう、この世界に来て、何より重要な話をしている気がする。
 嫌いではない、ササラの、影を知らぬ無知な明るさは。
 光とは、無知なもの――
 逆に、知識はいつも闇の側にある。選別の念をも与える知の罪。
「いえ、魔術は関係ない……ですが……」
「笹良って、守られ過ぎかな?」
 彼女には似合わぬ思い詰めた表情に、胸をつかれた。
「……いいのではないですか?」
「うん?」
 先程までの理不尽な恨み言は掻き消え、慰めねば、という焦りが生まれる。純粋な子は、その穢れなさを失わずに成長してほしいものだ。
「たとえば人を守ることでしか、自分を守れない人もいるのでは」
「う、うーん?」
「あなたには守られているという意識がある。それでいいのです」
 意識のあるなしでは、大きな差異がある。ササラの美点は、無意識の明るさだが。
「でもさ、人に寄りかかってばかりって、駄目人間みたいじゃん?」
 駄目人間か。リスカは内心で苦笑する。自分の弱さを指摘されているみたいだ。
「あなたを守りたいと望む者がいるのなら――守らせておあげなさい」
「守らせる?」
 卑怯な物言いだと承知の上で、ササラに無理を望む。
 意外に守るのは簡単なのだ。自己犠牲や使命感というのは時に自己陶酔と重なるのだから。だが、意識のある人間に、守られる側で居続けろと望むのは、酷な話だった。
「あなたは、こう考えるかもしれない。人に守られてばかりは嫌だ、自分も誰かを守りたいと。ですが、あなたを守りたいと思う者は次のように考える。もう自分の手は必要ないのか、と」
「なんか笹良、よく分からない」
 分からなくていいのだ。偽りに塗れたリスカの傲慢な願いである。
 こういう子もいるのだな、とリスカは改めて感心した。リスカのように頼りない人間をも、強く利口な何者かに変われるのではないかと錯覚させてくれる子が。
 ササラは極端な感情を人に与えるだろう。
 激しい愛情か、死に物狂いの憎悪か。愛するばかりではない、深く憎しみも他人に植え付けるかもしれない。この天真爛漫さは、人生の底を這う者には憧憬よりも憎悪の対象になり得る。
 波瀾万丈な人生を送りそうだな、とリスカは考えた。
「あなたは誰かに守られることで、見えない部分では逆にその人を守っている。そういうことも、世の中にはあるでしょう」
「うー」
 不満そう、というか、情けなさそうにササラは唸った。
「いいのですよ、あなたは我慢して、守られてあげなさい。たとえそれが、あなたにとっては不服であっても」
「でも、嫌だっ」
「お兄さんの顔を、思い浮かべましたね」
 家族というのは、時々、他人よりも身内に強く憎しみを抱く時があるものだが、どうやら彼女の兄は、この感情豊かな妹を可愛がっているらしい。
「ササラさん、今もまだ帰りたくないと思いますか?」
「うううっ」
 ササラはばたっとその場に倒れた。反応が愉快な子だ。
「夜遊びしようとしたあなたを、お兄さんはとめましたね。なぜですか」
「笹良を嫌いだから」
 おやおや。
「嫌いならば、引き止めずともただ罵ればよい」
「笹良の邪魔をしたかったから」
 この期に及んで、まあ。
「だとすれば、着替えをさせる必要はない」
「妹が露出狂だと困るから」
 ……言えている。
「正解です」
 何っ? とササラは勢いよく飛び起きた。いえ、ササラさん、その格好はやはり、何とも。本当に彼女の国では、これほど過激な格好が求められているのか。リスカの世界では、ここまで肌を露出するのは踊り子くらいなものだ。
 困ったねえ、と思いつつ、リスカは何となくササラを抱き寄せた。うーむ、何やら我が子か妹のように思えてくる。連れて帰りたいくらいだ。
「妹――その言葉に、お兄さんの心が凝縮されています」
「……総司は意地悪だ!」
 そんなに意地悪をされているのか。
「見逃してあげなさい。案外、あなたの兄は不器用な人です。心に様々な思いを抱える人は、感情を真っ直ぐに表現できなくなるものです」
「でも、総司は魔王的だ」
 魔王。リスカは笑いを堪えた。
「孤独な魔王ですね、お兄さんは」
 すぱい的な部下とかいるもん、あいつは絶対しーあいえーの手先だ、いや、なちすの秘密結社に、などとよく分からぬ単語を交えてササラはぶつぶつ言っていた。
「意地悪な人は、嫌いですか」
「き、嫌い」
 ふん、と勝ち誇ったような表情を浮かべるのに、目が泳いでいるのだ。
「本当に?」
「リッちゃんは、結構意地悪だ」
 こちらにまで矛先が。
「では嫌いですか」
「す、好きだけどさっ」
 やはり連れ帰ってはまずいか。面白いのに、とリスカは残念に思った。
「お兄さんは、どうですか」
「すぐ怒る。いじめる。脅す」
 余程根に持っているらしい。
「怒るのではなく、叱るのでしょう。愛しさゆえに、口うるさくもなるでしょう」
 なぜかササラは、ぎゃあ! と叫んで真っ赤になり、ごろごろと床を転がった。先の読めない反応をする。
「帰りましょうか、ササラさん」
 床を転がって埃塗れになったササラが、顔を上げた。
「え? でも、これ、どこの鍵か分からないし……」
 リスカは笑顔を作った。
「気づいたことがあるのです。見るべきものは、すぐ側にあった」



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