TEMPEST GIRLS:03

「――……か」
 誰?
「……ですか」
 誰なの?
 知らない人の穏やかな声に促されて、笹良の意識はゆっくり浮上した。
 重い瞼を渋々開けた瞬間、唐突に意識が戻り、笹良はがばっと跳ね起きた。
「……ええと、大丈夫、ですか?」
 躊躇いを含んだ静かな呼びかけに、ぎくしゃくと振り向く。
 視線の先には、変な髪の色の、変な格好をした、小柄で実に気弱そうな若い男(だと思う)がいて、困ったような微笑みを浮かべていた。
「大丈夫ですか? 意識ははっきりしていますか?」
 誰、この人。
 笹良はまじまじと、心配そうにこちらを見つめる奇妙な格好の男を凝視した。全身を観察する無遠慮な笹良の眼差しに幾分怯えているように見えたが、まあそれはともかく、第一印象だけで判断すると、そいつはやたらと人に騙されそうな弱々し……じゃなくて、やたらと人のよさそうなほわほわとした雰囲気をもっている痩せた男だった。少なくとも、絶対に悪人にはなれない軟弱くんタイプだ。いや、悪人にも微笑みかけそうな馬鹿がつくほどのお人好しタイプだ。間違いなく結婚詐欺とかに引っかかり、泣き寝入りする損な性格をしているだろう。
 そいつの妙に腰が低い柔らかな雰囲気に感化されたのか、笹良の身体から緊張が抜けた。
 に、しても。
 まるきりファンタジー! な、その怪しい格好は何なのか。
「が、外国人?」
 思わず笹良は呟いた。脱色したようには見えない自然な感じの灰色の髪で、しかも目がピンク色っぽい。顔立ちは、日本人よりちょっとはっきりしているが、美形という表現はあてはまらないだろう。優しいお兄さん、といった感じなのだ。
「誰?」
 笹良は呆然と訊ねた。
「ええと、私は――リカルスカイ=ジュードと申します」
 どこの外人だ、と笹良は内心で素早くツッコミを入れた。
 確かに外国人的な要素が満載の人物だが、ファンタジーの世界をこよなく愛するコスプレ常習者という可能性だってある。
 困惑顔のリカなんだかさんに、「何者なのか」と、更に深く突っ込もうとした。
 が、いやでも目に入る周囲の不可思議な光景の方が、コスプレ命の可能性大であるリカなんだかさんの正体より余程重要な気がしてきた。
「ここ……どこ……?」
 笹良は再び、呆然とした。
 確か、そう、確か笹良は、意地悪な総司を出し抜こうとして、自室の窓から逃亡を図ったはずなのだ。そして意気揚々と飛び移った桜の木の枝に、奇怪な生き物がのそっと乗っかっていて、それで、落下し――
 夢じゃなければ、木から落ちた笹良は庭先に倒れているはずなのに。
「すみません、私にも、ここがどこか分からないのです」
 リカ何だかさんの遠慮がちな言葉が、風のごとく右から左へ通り抜けた。
 笹良の目に映る景色、それは、何の家具も置かれていない、白い部屋だったのだ。
 間違いなく、病室ではないだろう。
 
 
「やあやあいらっしゃい、迷える子羊さん達」
 
 
 殺風景な部屋に、どんな手品か、いきなりピエロが出現した。目が痛くなるほど派手な極彩色の衣装を着ている。
 ぎえっと笹良は叫び、ファンタジーなリカ何だかさん――ええい長い名前は覚えきれないのでこの際リッちゃんと呼んでやれ――にしがみついた。笹良が飛びついた反動で、両膝を床について身を屈めていたリッちゃんは尻餅をつき、わわわっと慌てた声を上げていた。
「ふふふふ、見るべきものを見ていない、そんな迷える子羊さん、ようこそ私の迷宮へ」
 は? と笹良とリッちゃんは、同時に呟いた。
「あの、ここはどこでしょう? あなたは誰ですか?」
 気弱そうなリッちゃんが、すがりつく笹良を戸惑いの目でちらちらと窺いつつも、意外に冷静な口調で訊ねた。
「ここは始まりであり、終わりの場所」
「はあ……」
「そして私は案内人であり、お仕置き人の<想>」
「そ、そうですか」
 納得してどうする、リッちゃん。しかも、ギャグっぽい返事をしてどうする。
 何だそのお仕置き人というのは。
「君達は、いけない子。見るべきものを見ないから、こんな場所に迷い込む」
 ピエロは嘆かわしいといった様子でわざとらしく溜息をつき、額を押さえた。
「お話は分かりましたが……ここから出るにはどうすればよいのでしょう」
 リッちゃんよ、本当に分かったのか? 今の話が。
「出たいかい?」
 当たり前だ。というか、これは一体何の悪ふざけなのだ? 夢か?
「出たいというなら、試練を乗り越えねばね」
「こらこらっ、何だその勝手な言い草は!」
 笹良は我に返って叫んだ。話の流れを掴みきれていない状態で、何かを押し付けられるのはご免なのだ。
「身勝手は、君の言動だろう?」
 きっぱりとした口調で言われてしまったため否定できない気分になり、うっと笹良は口ごもった。なぜかリッちゃんも、気まずそうな顔をしていた。
「さて手っ取り早く説明しよう。君達がここから脱出するには、元の世界へ続く扉の鍵を探さねばならない。だが、これだけじゃあ、お仕置きにもならないし簡単すぎる。ということで、ちょっと制限を与えよう。一時間以内に鍵を見つけないと、君達は永遠に元の世界へは戻れない」
「ちょっと待った! 卑怯じゃん!」
「……もう一つ、制限を与えようかな」
 口は災いのもとだった。反省した振りをして殊勝な態度を取ってみたが、軽く無視されてしまう。ちっ。
「君達が、誠心誠意、この試練に取り組めるよう、彼に追ってもらおうね」
 と、ピエロが片手を巡らせた瞬間、またしても突然部屋の中に奇妙な生き物が出現した。
 ぎゃー! と笹良は叫び、リッちゃんの背後に急いで隠れた。
 白い虎じゃん!!
「ふふふ、やる気になるだろう?」
 なるか、馬鹿者!
 突如現れた白い虎は獰猛な唸り声をあげて、ピエロの周りをうろついていた。
 でかいよこの虎、しかも襲う気に満ち溢れている!
「嫌っ、食べられる間違いなく!」
 食べるならまず、リッちゃんを先に!
「君達がこの部屋を出たあと、彼に追わせるからね。じゃあ頑張りたまえ」
「全然頑張れない! 何でこんな目に合わなきゃならないのっ」
「――それを考えるための、試練だよ」
 ピエロは両手を腰に当て、意味深な口調で言った。
 どういう意味か問いただそうと思ったのに、白虎が地面を削るかのような凄い唸り声を上げたため、意識が完全に逸れてしまった。餓えまくってるじゃん、この虎!
 笹良とリッちゃんは混乱した状態のまま、試練とやらに強制参加させられた。
 
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 ピエロの部屋を出ると、まるで遊園地のアトラクションの一つのような、奇妙に古ぼけたダンジョン的通路が奥へ奥へと続いていた。かなりの規模があるのか、分かれ道がたくさん用意されている。
「笹良、怖いようっ」
 リッちゃんの手にしがみつきつつ、全力疾走もしつつ、笹良は自分の不運を思って泣いた。
「えっと、ササラ、さん。とりあえず、こちらの部屋に隠れましょう」
 リッちゃんは焦った顔をして、泣き声を上げる笹良を誘導しながらも、冷静な眼差しを周囲に注いでいた。ううっ何者か分からないし見た目は蹴りの一発で気絶しそうなほど軟弱っぽいけど、意外に頼りになる人だな。
 リッちゃんは笹良を引っ張ってしばらく走り、突き当たりのぼろい階段を駆け上がったあと、通路にやたらと並ぶ扉の一つに近づき、中へ入った。
 部屋の中は壊れた玩具が床に散乱していて凄く雑然としているのに、どこか寂しさが漂っていた。
 呼吸を整えたあと、リッちゃんが外の様子を窺った。
 あの白虎、マジで追ってきているんだろうか。
「よく分かりませんが……とにかく、私達は異空間へ連れてこられたようです」
 リッちゃんは困惑した表情で言った。こんな時になんだが、リッちゃん、そのぼさぼさしている髪型は何とかした方がいいと思う。寝癖か? その毛先のハネは。
「異空間? リッちゃん、どこの国の人?」
「り、リッちゃん……?」
 リッちゃんは愕然と呟いたあと、ひくりと顔を引きつらせたが、すぐに立ち直ったらしい。なんか諦めの境地といった感じがしなくもないが。
「私は、ええと、『りあこうこく』の出身ですが」
「りあ? どこの国なの、それ。アメリカから近い?」
「アメリカ?……ササラさんの出身は?」
「日本だよ」
「ニホン?」
 笹良もだが、リッちゃんの方もわけが分からないと感じたらしく、少しの間沈黙が降りた。
 りあ、なんていう名前の国が地球に存在しただろうか。イタリアの略語とか? 
 リッちゃんはいつの間にか、ぶつぶつと何やら呟きつつ自分の世界に入ってしまっている。
「リッちゃん、これからどうしよう」
「……え? ああ、そうですね。やはり案内人が説明していたように、鍵、を見つけなければ、この空間からは脱出できないようです。しかし、おかしいな。魔力は感じない。結界をはっているというわけではないのか。手応えがないのに、空間は閉じられている」
 何の話だ?
「まりょく?」
「ええ、何者かが魔術により異空間を構築しているのかと思いましたが、どうも違うようです」
「待ったリッちゃん。魔術って?」
「私、正規の魔術師ではないのですが、一応、魔術を使えますので」
 笹良は仰け反った。ごく当然といった調子で返答したリッちゃんの真面目な顔を窺う限りでは、嘘をついているように見えなかった。
 魔術! 
 何の冗談なのだろう、リッちゃんはやっぱりファンタジー世界に強い憧れを抱くマニアな人なのか。
 ここは一つ、寛大な心で信じてあげた方がいいのか?
「ササラさん、これは憶測ですが、私とあなたは別の次元の世界から呼び出されたようなのです」
「ふ、ファンタジーじゃん」
 リッちゃんはきょとんとした。
「でも何で? 笹良とリッちゃんが、どうしてこんなことに」
「――それを知ることが、恐らく、鍵を見つける<鍵>となるのかもしれません」
 リッちゃんは少し悲しそうに、そう言った。



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