TEMPEST GIRLS:04

「うううっ、笹良、帰れなかったらどうしよう」
「ああ、泣かないでください」
 リッちゃんはあわあわとうろたえて、再び泣き出す笹良の頭を撫でた。
 優しい。どこかの極悪兄とは比較にならない。
「大丈夫ですよ、きっと元の世界に戻れますから」
「うう、総司もリッちゃんくらい優しければ……」
「え?」
 少し驚いたように目を見張るリッちゃんにしがみつきつつ、溜息をついた。
「意地悪なお兄様が原因で、ここに来た気がする……」
「お兄さん?……ええと、何があったのですか?」
 総司の意地悪な所業を思い出して微妙に不貞腐れた時、リッちゃんがふと真剣な顔をして訊ねた。
 リッちゃんの声は穏やかで、まるで優しいご老人とのんびり話している気分になる。妙に心が和んだ笹良はここにくるまでの出来事を、問われるまま全て話した。総司とのやりとりについてを話した時は馬鹿にされるかと覚悟したが、リッちゃんは笑わなかった。いい人だな。髪の毛ぼさぼさだけど。
「そうですか。ならば、この空間は――」
 考えに沈むリッちゃんを見ると、なぜか置き去りにされてしまうんじゃないかっていう不安を感じた。
「リッちゃん」
「……え? ああ、すみません」
 こっちの存在を忘れないでほしいという思いを込めて呼ぶと、リッちゃんはふわっと笑った。美形じゃないけど、笹良はかなりリッちゃんに好感を抱いた。
「大丈夫、あなたは決して悪い子ではない。必ず帰れるでしょう」
 リッちゃんはどこか寂しそうに微笑んだあと、笹良の涙を優しい手つきで拭ってくれた。
「でも笹良、帰るのも嫌だっ」
 うーん、なぜかリッちゃんて我が儘をいいやすい雰囲気なのだ。この人、絶対苦労人だな。
「なぜですか?」
 ほら、こっちの言葉をないがしろにしたりせず、ちゃんと聞いてくれるしさ。
「総司にまた怒られる」
 ああ恐ろしい。散々説教されたあとに、逃亡を図ったのだ。すごい勢いで叱責されるだけじゃなく、今度こそ本気で軟禁される可能性が高い。
「お兄さんが、嫌いですか」
「嫌い。意地悪、極悪、卑劣、問答無用で情け無用、心の黒さは魔王並み。あの毒舌は、岩をも溶かすっ」
 本心から嘆いて同情を求めたのに、リッちゃんはちょっと俯き、笑い出した。
「ああ、あなたは、うん、可愛い人です」
 口説かれているのか?
 でもリッちゃんて、どさくさに紛れて異性を口説けるほど器用なタイプではないだろう。こういうのは何だが、そっちの方面はかなり鈍そうだ。ロマンチックな場面を迎えた時は積極的に行動を起こすというより、思い切り慌ててこけそうな感じがする。と、までいうのは失礼か。
「あなたのお兄さんは、きっと――」
 リッちゃんがからかいを交えた口調の中に温かさのようなものも含めて笑った時、だった。
 突然、もの凄い破壊音と共に、笹良達が無断入室している部屋の扉がぶち破られたのだ。
 ぎゃあっ白虎!!
 ぱっと振り向いたリッちゃんは表情を改めて、硬直する笹良を素早く抱き寄せたあと、室内に乗り込んできた白虎へ何かを投げつけた。
 花びら?
 と怪訝に思った瞬間、目の前の空気がいきなり水のように波打って、笹良に飛びかかろうとしていた白虎をはね飛ばしたのだ。
 リッちゃん、マジで魔術師!?
 ごめん、この瞬間まで実は信じてなかった!
「急いで!」
 リッちゃんは全然顔に似合っていない鋭い声を放って、愕然とする笹良を促し、部屋を飛び出した。攻撃を受けた白虎は動けなくなっていたが、いつ目を覚まして笹良達を追ってくるか分からない。
「こちらの部屋へ」
 ぐるぐると通路をひた走り、適当な部屋へ飛び込んだ。
 そこは海賊が好きそうな宝箱がたくさん置かれた気味の悪い部屋だった。天井の四隅に蜘蛛の巣があって、一層気分を降下させてくれる。実に胡散臭いぞ、この部屋。
 はあ、と一息ついたあと、笹良は肝心なことを思い出した。
 鍵を探さなきゃいけないのだ。
 リッちゃんも同じ考えに至ったらしく、二人で手分けをして宝箱の中を一つ一つ確認することにした。
「な、何これ」
 だが、どれもこれも見事に空っぽだったのだ。こうしている間にいつ白虎が襲ってくるかと戦々恐々だった。匂いとかを嗅ぎ付けて、また扉をぶち破り出現するんじゃないだろうか。
「まさか、全部の部屋の中から、鍵を探せってこと?」
 笹良が絶望的な気分で呟いた時、リッちゃんが開けた宝箱の中から、アラジンのランプよろしく怪しい煙と共になぜか和風な衣装をまとっている半透明の美女が出現した。
「ぎえ!」
 リッちゃんはさりげなく、悲鳴を上げた笹良を庇う感じで前に立ち、半透明美女と対峙した。
「お・と・こらしいわね、魔術師さん」
 半透明美女が面白そうな笑みを浮かべつつ放ったその言葉に、リッちゃんは思いっきり顔を引きつらせていた。多分笹良を守るような態度を取ったことを揶揄されたのだろうが、リッちゃんって男らしいとか精悍って言葉が一緒に泣いてあげたくなるほど当てはまらない。いや、言い過ぎか。
「あなたは誰ですか」
「私は、香乃。よろしくね」
「はあ」
「やだっ、そのやる気のない返事。戦いには緊張感が必要なのに」
「は?」
 とリッちゃんが首を傾げた瞬間、香乃という名の美女は艶麗に微笑んだ。
「わたくし、開幕を告げる精霊。お相手するわ」
 と、香乃が不必要なほど色っぽい視線を寄越して宣言すると同時に、開けっ放しにしていた数々の宝箱から蛇的形状を保った白い煙が勢いよく立ちのぼり、警戒の体勢を取りつつもどこか困惑していたリッちゃんを襲った。
「リッちゃんっ」
 リッちゃんは咄嗟という様子で振り向き、慌てる笹良へ向かって一枚の花びらを投げつけた。それは笹良の胸にぺたりとはり付き、光を放った。
 何これ。
 笹良を包む花びらの光は、触手を伸ばすおぞましい煙の蛇を身体に触れる寸前で弾いていた。これ、いわゆる結界の役割を果たしている気がする。
 でも、リッちゃんは。
 笹良を助けるだけで精一杯だったリッちゃんは自分の身を守れず、湧き出た煙の蛇に首を絞められてもがいていた。やばい、リッちゃんが死んでしまう。
 どうしよう!
「考えなさい、お馬鹿さん」
 美女の、高い所からこちらを見下ろすような嘲笑う声に、かちんときた。この煙女めっ。
「うー、うーっ」
 笹良がまごつく間にも、次々とリッちゃんに煙の蛇が絡み付く。うわーん、どうしよう。リッちゃんは自分を犠牲にして、笹良を守ってくれたのに。
「守られてばかりね、あなたは。だからこそ本質が見抜けない」
「!」
「いい気なものね。他人が必死に守ってくれることを、当たり前のように受け入れている。その者がどれほど心を砕き、己の身を削っているか、知ろうともしない。あなたは我が儘で盲目なお嬢さん」
 胸にずきっとくるような指摘だった。許される我が儘と、許されない我が儘の違いについてを一瞬考える。
 くそう、こうなれば自棄だ。
 笹良は暴挙に出た。そう、宝箱から出現したのならば、蓋を閉じてしまえばいい。
 総司がここにいたら目を吊り上げて注意しそうなくらいに笹良はばたばたと走り回り、乱暴な動作で次々と宝箱の蓋を蹴り閉じた。ある意味、背水の陣的な最終手段だ。
 が、それは信じられないことに功を奏したらしい。箱が閉じられると同時に煙の蛇も霧散したのだ。
「また遊びましょうね、お嬢さん」
 美女はなぜか笹良の行動をとめようとはせず傍観者に徹したあと、ひらひらっと手を振った。誰が遊ぶか! と笹良は最後の蓋を閉ざした。美女も全く抵抗を見せずに呆気なく掻き消えてしまう。何なんだこのお手軽な結末は。
「リッちゃん」
 煙の蛇から解放されたリッちゃんは苦しそうに喉を押さえて、床に屈み込んでいた。
「ご、ごめんね、大丈夫?」
「平気です……、ありがとう」
 なぜお礼を言われたのかと悩んだが、すぐに、ああそっか宝箱の蓋を閉じて美女を成敗(?)したためだろうと気づいた。
 でも、リッちゃんが花びら産の魔術を使ってくれたお陰で、笹良も助かったわけだし。
 自分の身よりも笹良を優先して助けてくれたんだよね、リッちゃん。
 笹良は感動して、喉を痛そうにさすっているリッちゃんに抱きついた。いい人だ! 人間は顔じゃないな。
「わっ、ああああの、ササラさん、な、な」
 飛びついた笹良の身を引き離すことも、また逆に抱きしめ返すという手段も思いつかなかったらしいリッちゃんは、面白いくらいにわたわたっと動揺した。からかいがいのある人だな。
「ありがと、リッちゃん」
「ああ、はあ、いえ」
 リッちゃんは吃りつつ、笹良の格好を目にしたあと、視線を泳がせ、ほんのりと顔を赤くしていた。もしやリッちゃんも総司と同じように、笹良の服を露出度が高すぎると感じているのだろうか。うーん、今時珍しいくらい純情な人なのか、それともリッちゃんの故郷である「りあ」って国、修道院のシスター並みに皆慎ましいのか。
「ササラさん、ええと、あの、先を急ぎましょうか」
 挙動不審に狼狽えつつ、リッちゃんは立ち上がった。
 
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 で、次の部屋。
 そこはなぜか、壁も天井も全部が棚になっていた。部屋の壁が全て、作り付け式の引き出しになっているといえばいいだろうか。
 天井の引き出しなんてどうやって開けるんだ! 手が届かないじゃないか。
「これ、全部開けて、鍵を探すの?」
「まあ、そうなんでしょうね」
 お互いに疲労感たっぷりの溜息を漏らしたあと、黙々と引き出しを開けていく。もう、空棚ばっかじゃん。
「なんか、すごい虚しい」
「……ええ」
 くそう、鍵め!
 と内心ご立腹して、とある引き出しを力任せに開けた時。
「ササラさん!」
 今度は武士的な格好をした半透明の男が、引き出しの中から飛び出したのだ。
「なっ、すっげえ不気味な登場じゃん!」
「いえ、そういう問題では……」
 武士的な格好の男は、じろりと笹良とリッちゃんを睨んだ。
「我が名は吉良。剣の精霊。面倒だが遊んでやる」
 何だその威丈高な口上は!
 と、叫びかけた瞬間、吉良はいきなり手にしていた刀で斬りつけてきた。
「死ぬっ!」
 笹良は絶叫したが、さっきリッちゃんに作ってもらった結界の効力がまだ持続していたらしく、吉良の刀はかちんと音を立てつつ空気の壁に阻まれ、怪我をせずにすんだ。
「成る程、魔術か」
「私がお相手をします」
 リッちゃんが半透明の男に毅然と向き直った。やってしまえ、リッちゃん! 笹良が許す。清楚な乙女に刃を向けた罪は重いぞ。
「不具の魔術師が相手を?」
 吉良は余裕を見せつけるように唇を歪めて笑った。
 ぐ、とリッちゃんが呻いた。不具?
「剣が憎いか?」
 吉良は意味不明なことをリッちゃんに聞いていた。憎いかどうかという問題の前に、刃物を振り回すのは危険じゃないか。大体、なぜ剣が憎しみの対象になるのだ?
 笹良には理解できなかったが、リッちゃんには思うところがあるらしく、僅かに険しい表情を浮かべて唇を噛み締めていた。
「憎くなど、ありません」
「だが、恐れている」
「それは……」
「剣はお前を傷つける。矜持も」
 何だこいつ。ちくちくと皮肉を言って、リッちゃんをいじめているのか。
「お前の弱さは、剣と向き合えない。その心が、不具」
 手厳しく指摘されたリッちゃんは、傍目にも分かるほど蒼白になった。
 話の展開についていけなかったが、そんなことはともかく、笹良の命の恩人であるリッちゃんをいじめるとは許せん奴だ。完膚なきまでに退治してやる。叩きのめして、調伏だ!
「こら、何だその物言いは! 剣が怖くて何が悪い、危険なものを怖がるのは当然の心理だっ」
「恐れていては、何も見えない」
「見ちゃいけないものを見るより、いいじゃないか」
 吉良は笑った。馬鹿にしているな。陰陽師を呼んで、魂を滅してもらうぞ。
「危険が怖いか。では永遠に逃げ続けるか?」
 笹良は逆上した。乙女をなめちゃいけないのだ。こういう時は、相手の意表をつくに限る。
 自分に喝を入れたあと、吉良に向かってダッシュし、ぐいっと剣を奪い取った。
「向き合えないなら、奪い取ればいいじゃん!」
 刃物と向き合おうとするから怖いのだ。自分の手にあれば恐れる必要はなくなる。
「ササラさん」
 リッちゃんはぼうっとした表情で、笹良を見つめた。理由は分からないが、何かすごく驚かれている気がする。
「いいじゃん、怖がっても」
「ほう」
 吉良はにやっと笑った。不気味だ。
「乙女はちょっと危険なものに惹かれたりするんだぞ!『わたし危険な香りのする男の人が好き』っていう乙女の複雑かつ微妙な心理を知らないのっ。大体、今の日本はホラーブーム真っ直中だ!」
 と笹良が大声で持論をかました時、なぜかリッちゃんは真っ赤になって咳き込んだ。変なこと言ったかな。だって近所のお姉さんは、影のある男性ってミステリアスで魅力的よね、などと妄想世界に魂飛ばしてうっとりと呟いていたぞ。
「リッちゃん、大丈夫?」
「あ、いいいいえ、はい、何でもありません、ええ」
 笹良は奪い取った剣をぽいっと投げ捨てたあと、頬を紅潮させて咳き込むリッちゃんの背を必死にさすった。持病でも持っているのか?
「ササラさんは、凄い人ですね」
「何が?」
「ええと、まあ色々と、はい」
「リッちゃん、顔赤いけど大丈夫? 喘息持ちとか?」
「い、いえ! 違います、その、ササラさんの言葉に、ある意味衝撃を受けたといいますか」
 リッちゃんは片手で口元を押さえて、なぜか激しく動揺し忙しなく瞬いている。リッちゃんて、謎の反応をするなあ。
「そうですね、正面から向き合わずとも、別の方法を探せばよいのですね」
「……?」
 よく分からないが、リッちゃんは納得していた。何だ、リッちゃん、もしかして先端恐怖症で包丁が持てないとか?
 あ。
 忘れていた。剣男はどうした?
「あれ?」
 振り向くと、吉良はいつの間にか消滅していた。ついでに笹良が放り投げた剣も。
「何だったの?」
 何もしていないのに、どうして吉良は消えてしまったんだろう。
「……あなたが、勝ったんですよ、ササラさん」
 リッちゃんはそう言ったけれど、さっぱり意味不明だった。



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